だだもれコヨーテ

憂鬱なゲイが死ぬまで

無事に死ぬため生きている

未熟な人間の特徴は、理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある。
これに反して成熟した人間の特徴は、理想のために卑小な生を選ぼうとする点にある

J. D. Salinger

 

ライ麦畑でつかまえて」を書いた小説家の言葉。
2002年のアニメ”攻殻機動隊”にも登場するセリフです。

私は理想のために死を選ぶことを宣言します。
いつか高貴な死を迎えるため計画的に生きることを宣言します。

生きる理由が曖昧なように、死ぬ理由なんてありません。いくらか日本社会が生きるに値する魅力に欠けているくらいでしょうか。

 

さて、どうせ死を選ぶのなら高貴でありたいという思いがあります。負け犬として死んでいく自分を満足させる高貴な死とは一体なんなのか、それを探るためにも生きねばなりません。

たとえば両親を悲しませず、むしろ笑顔にできるような自殺が手軽にできないものでしょうか。葬式には美味しい料理と陽気な音楽を用意しようかな。葬式にも時間と金が必要ですから、今すぐ死にたいのに死ねなくて、ますます死にたくなってきます。

自殺方法も真剣に考えなければなりません。警察や病院に連絡する必要があるのか、家族に迷惑をかけないよう、検討すべき項目は山ほどあります。嗚呼、死ぬ事すら面倒なんですね。

 

生き辛さを抱えている日本人は多いでしょうが、
死に辛さまで抱えている日本人は、どうでしょう。

 

冒頭の引用に戻りますが、社会の狂気に適応できた卑小な人間だけが生きながらえ成熟に至ると考えられませんか。自殺者を正気でないと信じたい人が多いようですが、むしろ日本社会に使い捨てにされる卑小な生を選ぶという狂気を、自殺者が持ち合わせていなかっただけでしょう。

とはいえ彼がどういう文脈で人間の成熟について表現したのか実は知らなかったりします。残された時間を読書に使うのは楽しそうですね。それではさようなら。